豊臣家存続を考える(その2)


 関ヶ原の戦いで西軍が勝利する可能性については、今まで数多くの作家、歴史家さん達が考察をしています。素人の歴史ファンの方々(私もその一人です)も考えたことはあると思います。
 今回も豊臣家の存続する可能性を考察してみようと思いますが、前回とは違い「関ヶ原の戦い」において西軍が勝利したという前提で考察してみたいと思います。

 さて、一言で「西軍の勝利」と言いましても、関ヶ原においての勝利が即西軍の勝利となるわけではないと思います。
 史実においても東軍の勝利を決定した最大の要因は、西軍の総大将である毛利輝元が大阪城を退去したことにあります。この行動によって西軍は「豊臣家の大老」である徳川家康との戦闘を続ける大義名分を失いました。
 では、西軍の勝利を決定するためにはどうすればいいでしょうか。その答えは「徳川家康を討ち取ること」しか無いでしょう。
東軍は徳川家康の個人的カリスマで構成された軍団だと見ることができます。その点が西軍とは違います。西軍がもしも石田三成個人を戦闘の結果として失ったとしても、戦闘の継続は可能です(その意志があるかどうかは別問題として)。東軍は徳川家康個人を失った時点で戦闘の継続は不可能となるでしょう。
 家康を討ち取ることができたならば、戦いは終わります。その後、豊臣秀頼を精神的カリスマとして頂点にいだく集団指導体制が成立するでしょう。その体制がその後どうなるかについての予測はしません、と言うよりできませんが、豊臣家を頂点にいだく体制はその後も継続した可能性は結構高いと思います。